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# 夏の陽炎の妖艶さ 

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謎の体調不良が・・・・・・

いや、原因はわかっている・・・・・・

何度もトライして、いつも断念する「コアリズム」のせいかもしれない・・・・。
げ、激痛が・・・・Wiiフィットくらいなら良いんだけど、

運動不足だから、いい汗かく習慣をつけようって、思ったのですが(;^ω^)
また、ほったらかしのコアリズム引っ張り出して来て、腰ふりまくり。

何年前に買ったかなんて、ぜんぜん覚えてないコアリズム。
いつになったら、基本編を卒業できるのか・・・・・。
基本編・・・・もう、完璧に覚えたわ・・・・振り。
でも、やるなら完璧にって、丁寧に無茶してしまう。急に、運動しすぎた(;^ω^)

と、しばらく、日記も書けないテンションでした。

そうだ、日記に書こうって「思いついた」事が、あったのですが、
すっかり忘れてしまった。

まさか、記憶力の低下かな・・・・ほんと、すっかり覚えてない。
何を、書くつもりだったのだろう・・・・か?

もう、夏の香りが日本中を覆い、暑い暑いの大合唱。
今年は、セミの声が少ないって、騒いでる人がいたのだが、

なるほど、言われてみれば、そんな感じもする、と、無責任な納得を覚えたのは、
流されやすい日本人の特徴なのか?
そんな自分に、少し、可笑しさを感じるのです。

日常で、疑問に思う事を、ネットで調べる。
この、当たり前の現状が、リアルを持って、私の生活に入り込んできたのは、
もう、随分昔。

おそらく、とんでもない百科事典を手軽に抱えた感動は、
一昔以上昔に置きっ放しのようだ。

自動化した社会システムの中で、ふと、陽炎のように浮かんでは消える「疑問」。
それを解決できるネット情報。

最近では、「ソースは?」と、情報の信憑性を確認することが、当たり前に必要な罠だが、
一昔以上前なら、「テレビでやってた」と、何の番組かを聞いていた。
信頼の高かったのは、某公共放送か。。。。。

世界中の事を、深く理解するなどと、一見、無駄な事と思える事でも、
時間をかけると、近づく事も、出来るだろうか・・・。

そもそも、深く理解なんて、曖昧な言葉に、何の説得力もない。
だたの、好奇心である。

私は、時々、ふと気になる事がある。
例えば、鶏の数え方を代表に、意外と「知ってるようで知らない事」って、
多いんですよね。

確か・・・だったかな?は、知らないと、同じである。
身についていない知識なのだから。
他の人に、無責任にも、曖昧な事を、伝えるわけにはいかない。

間違った「噂」になってしまう。

噂と言えばtwitter・・・。
企業が、目新しい宣伝方法に狂喜乱舞。twitterを使いこなす事が、
ネット社会に強い人材としてのアピールツールになっている気がする。

気軽に情報を発信するって感じの「つぶやき」は、利点もあるし、
人と人の距離が、随分と縮まった感じがする。

日本で、ほどんど流行っていない時、もう、何年前の話しか忘れてしまったのだが、
パレスチナ辺の話しだったと、思うのですが、
twitterで家族の安否の確認や、戦争地域の把握するのに、活躍していたとの、
ニュースがあった。

サーバーが国内に無い・・・・政府が管理出来ない。
そんな理由だったと思う。

おっと、話しがずれた。

日本語で、知ってて知らない事のひとつとして、
ふと、疑問に思った事が、あった。

将棋を指すの指すの意味が、不意に気になった。

だって、将棋を打つ、将棋を指す・・・・・?

どう違うのだろう。

将棋をあまり知らない私にとって、その疑問は、
今年のセミの鳴き声の量よりも、重要な疑問として、
私の前に立ちはだかり、どっかに行ってはくれないのだ。

私の当たり前が、他人の当たり前と違うように、
私の常識が、他人の常識とちがうように、
私にとって、「打つ」と「指す」は、暑い夏の陽炎となった。

はたして、その疑問を的確に答えられる人が、どれほどいるのだろうか?

世間では、そのくらい常識なのかもしれないが、
私には、分からない。

そういえば、将棋は代理戦争なんだよと、得意げに言った人を、思い出した。
私が、学生の時の話しである。

なるほど、そうかも知れないと感じた事を思い出す。

その辺にも、きっとヒントが隠れているのではないか?
などと、淡い期待に得意げになる私に、街を歩く人を、眺めては、
情報検索が出来ない時代は、考えられなくなってるなと、
感じたのです。

おそらく、5分とかからず、解決出来るだろう。

しかし、それが正しいと、何故解るのか。
などと、うっとしい疑いの目は、やめておこう。

何かにつけ、そんな疑惑の目で、世の中を眺めるのは、野暮ってもの。
つまらない人には、なりたくない。

しかしながら、

私が、この事を、得意げに他人に話し、間違っていたら。
私が、この事を、得意げに他人に話し、違う説が出てきたら。

少なからず、恥をかく事になるのだろうか?
なぜなら、

「確か・・・だったかな?は、知らないと、同じである。」

人は、皆、人生を「打ったり」「指したり」しているのですね。
初夏の早起きした日の日記「ケロケロ」のひとりごとでした。

「注:将棋の指すと打つの違いについては、日記に記さないでおきます。
しかし、なるほどと、思わせてくれる物がありました。
将棋の話題は、ひとつの比喩表現ですケロ。」

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